ポアンカレの「科学のための科学」とはどういう意味だったのか?
大場 裕一書評:ポアンカレ『科学と方法』―原書は1908年
ポアンカレといえば「科学のための科学」である。そしてこの言葉の意味は、科学はそれ自体に価値がある、という高らかな理想主義の宣言であると一般には解釈されている*。しかし、ポアンカレは実際そんなことが言いたかったのだろうか?
たしかに、本書の冒頭近くを見ると、科学とは「目前の実益」(たとえば「工業の応用」)のためではなく(P16)また(トルストイが言うような道徳としての)「人類の将来の幸福のため」でもない(P24)、ということが書かれている。しかし、その先をよく読んでみると、科学ならば何でも価値がある、なんてことはどこにも書かれていない。むしろ、科学には価値のある科学と価値の少ない科学があり(P300)、時間に限りのある科学者が選択しなくてはならないのは間違いなく前者である―そして、その価値のある科学とは何かといえば、より「普遍的」な法則を見つけることだということが明言されている(P18, 300)。そして、そうした普遍的な科学がなぜ価値があるかというと、それがさらに多くの別な科学の説明につながるからであると言う―すなわちこれこそがポアンカレのいう「科学のための科学」の正しい意味だったのだ。
「科学はそれ自体に価値があるのだ」などと日頃いばっている自称ピュアサイエンティストは、自分のやっている科学が一体ポアンカレのいうところの「価値」ある科学だと胸を張って言えるのかどうか一度よく反省してみるべきかもしれない。もしかすると、ただのプアサイエンティストだったりするかもしれませんよ。
* 実際、ポアンカレの前著「科学の価値」田邊元・訳(岩波文庫/昭和2年版)の訳者解説にはそうはっきり書いてある―「ポアンカレにとつて(中略)科學は實用を離れ知性の産物として其れ自身に價値を有する」(P14)。悪しき教養主義時代の都合のよい解釈というべきだろう。
(2011-11-28公開)