われわれヒトが今このようにあるのは偶然である

大場 裕一

書評:コンウェイ=モリス『進化の運命』

カンブリア爆発にスポットを当てたことで化石屋コンウェイ=モリスを一躍スターダムにのし上げたのは、他でもないS.J.グールドの「ワンダフル・ライフ」である。それなのに、その恩人を誤解してケチを付けるとは、キリスト教徒(P502)として如何なものだろう。

グールドのヒット作「ワンダフル・ライフ」(早川書房)は、〈連綿と続く末広がりの多様化〉という一般の進化イメージが正しくないことをカンブリア紀の奇妙な怪物たちを紹介しながら解説したものである。ところが、本書の著者(コンウェイ=モリス)は、先の著書「カンブリア紀の怪物たち」(講談社現代新書)で〈カンブリア紀の怪物たちは末広がりで多様化したのだ〉という(的外れな)グールド批判を展開した。

そして、今回の本書では、グールドの「テープのリプレイ」(進化をもう一度やり直したら全く違う結果になるという例え話)に食ってかかり、進化は何度くりかえしてもヒト型知的生命体に行き着くのだという驚きの持論(ただし、これは一般の人々によくある思い込みと一致している)を披露し、生物界に見られる収斂現象の膨大な列挙でこれを論証しようとしている(ダーウィンの「種の起源」を真似しているつもりだろう)。

しかし、収斂の普遍性を過剰に強調することは、限られた形態形質情報で系統分類を行う化石学者としての自分の首を絞めていることになりかねない(著者本人もそこは気にしている様子だ)。どうも、著者の批判はいつも結論(というか信念に近い)が先にあるようで、ロジックの自己整合性に欠けるように思われる。

起こりそうなことではなく起こりうることを研究するのが、進化学である。それなのになぜ、コンウェイ=モリスは「起こりそうかどうか」にそんなに拘っているのだろう?そもそも、いくら収斂の例を並べ立てても(それ自体はとても面白いのだが)収斂しなかったケースの多さとは比較のしようがないじゃないか。

我々ヒトが今このようにあるのは、単なる偶然である。

(2011-04-27公開)

書誌情報と関連リンク

サイモン・コンウェイ=モリス (著)
遠藤 一佳 (翻訳), 更科 功 (翻訳)
『進化の運命―孤独な宇宙の必然としての人間』講談社 (2010/07)

出版社による本の紹介

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