科学と科学哲学の関係を考える

中尾 央

書評:Robert Lurz, Mindreading Animals: The Debate over What Animals Know about Other Minds

実際の科学にとって科学哲学が役に立つのかどうか.あるいは役に立った事例があるのかどうか.CUNY(The City University of New York)Brooklyn College哲学科に所属するRobert Lurzによるこの本は,心の哲学と心の科学に関して,この問いに対する一定の回答を示唆してくれている.

我々ヒトは,おそらく相手の考えていることを理解している(すなわち,心の理論-theory of mind-を持っていると考えられている).しかし,幼児やヒト以外の動物(特にチンパンジーなどの霊長類)はどうだろうか.これを確かめるべく,ここ数十年の間に様々な実験・議論が積み重ねられてきた.そうした実験・議論の出発点とされる論文がPremack & Woodruff(1978)なのだが,当時この研究に対して噛み付いたのが,有名なDaniel Dennett,Gilbert Harman,Jonathan Bennettという哲学者であった.本当にチンパンジーが相手の心を理解できているかどうか,Premack & Woodruffの研究ではまだ明らかでないと彼らは論じ,チンパンジーなどに対して(今ではごく当たり前の実験デザインとして知られている)誤信念課題(false belief task)を行うべきだと主張したのである.この主張はしばらくの間無視されてしまうのだが,80年代に入って(まずは幼児の事例に関して)一気に浸透し(e.g., Wimmer & Perner 1983,チンパンジーのケースではCall & Tomasello 1999),心の理論研究におけるある種のトレンドを創りだした.

 こうしたトレンドの中で,チンパンジーにおける心の理論研究も着実にその成果を積み重ね,2008年にはCall & Tomaselloによって,Premack & Woodruff(1978)から30年を記念するレビュー論文が出版された.そこでは,これまでの研究を振り返る以上,ある程度の範囲でなら,チンパンジーが心の理論を持つと言えるだろうと結論されている.しかし,Lurzはここに噛み付くのである.彼は,Premack & Woodruffの研究にDennettたちが噛み付いたように,チンパンジーなどでこれまで行われてきた心の理論研究は彼がlogical problemとよぶ問題を克服できておらず,新しい実験デザインが必要だと論じる.たとえば,これまでの実験課題は,被験者となるチンパンジーが相手の心を読めていなくても,行動Aの後に行動Bが起きることを理解できていれば(すなわち,行動しか理解できていなくても)十分にこなせてしまうという.実際, logical problemが指摘される第2章の後,第3~4章で執拗に展開されるのはこの問題を回避するための新たな実験デザインなのである.

ここで,そこまでやるならさっさと実験をやってしまえばよいだろう,と思われるかもしれないが,彼は実際に実験にも着手しているようだ(これは人づてに聞いた話).また,「これは哲学なのか?」という疑問が生じるかもしれない.だが,世間的には「大哲学者」であるDennettだのHarmanだのがやってきたのと同じ路線で議論を展開しているのだから,その意味では十分「哲学」なのだろう(DennettやHarmanのやっている事が「哲学ではない」と言うなら話は別).もちろん,Lurzの議論が心の理論研究の今後にどこまで影響を与えられるのかはまだ未知数であり,「実際の科学にとって科学哲学が役にたった事例」になるかどうかは将来次第である.だが,「役に立ちうる」可能性は秘めているかもしれない.

ちなみに,同じくphilosophy of animal mindsを専門にするKristin AndrewsとLurzの議論が,近日中にPhilosophy TVで公開されるはずである(とKristin本人からそう聞いた).興味のある方は是非どうぞ.

References

(2012-04-06公開)

書誌情報と関連リンク

Robert Lurz,
Mindreading Animals: The Debate over What Animals Know about Other Minds, The MIT Press (2011/07)
出版社による本の紹介

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