OBA, Yuichi
大場 裕一
個人情報
1970年 札幌生まれ 名古屋大生命農学研究科・助教経歴と関心の対象
火山学者の父が有珠山から蔵王山にテーマを変えたため小学1年生で山形市へ引っ越す。その直後(1977)に有珠山が噴火し、父は千載一遇の出世チャンスを逃す。しかし、そんなことには頓着せず石をハンマーで叩いたりスライスしたり趣味の天体観測に熱中している父を見て、科学者とは余程ノン気で楽しい職業であると確信。小学生のころの将来の夢は「大学院生になること」。家にやってくる大学院生を見て、好きな事だけをダラダラやっている姿に憧れた。小さいころから生物が好きで、山形に引っ越したとき本物のカマキリを見て驚喜する(カマキリは北海道にはいない)。将来は昆虫学者になりたかったが、中学生の頃に母から「今の昆虫学者は殺虫剤を作る仕事しかやってないからよしなさい」と言われて素直に断念する。ちなみに、母は「そんなことを言ったかしら」と覚えていないらしい。
生まれ故郷の北海道に憧れて北大理学部に入るも、だからどうということもなく学部時代は過ぎ、以来「郷土愛」がなくなった。大学では有機化学を専攻。理由は「生物は有機化学物質でできているから」。しかし、この極端な還元主義的思考がダメダメなことに気づき、有機化学を放擲。博士課程では基礎生物学研究所(岡崎市)で、魚類の生殖腺形成を学んだ。理由は、「生物は卵から生まれるから」。
このころ、グールドの「個体発生と系統発生」を読んで影響を受け、進化に関わる研究をしたいと思い立つ。以来グールドの熱烈ファン。ただし、ドーキンスが嫌いなわけではない。
2000年に名古屋大学に着任。教授がやっていた発光生物の研究を始めるも、教授は私が着任して24日目に事故で死去。以来、無頼の根無し草。現在は「ホタルの進化の研究」に力を入れている。母のひと言で断念した「昆虫学者になる」という中学生のころの夢が叶いつつあり嬉しい。
「自分の研究は、ダーウィンの脚注」がモットー。通常科学に安んじている。
科学哲学との関わり
博士課程の頃に、岡崎3研究所(基生研、生理研、分子研)の大学院生を集めて「日曜会」を主催(漱石山房の木曜会にちなむ)。実験すれども結果の出ない日々に「私たちはなぜ科学をやろうとしているのか」というフレッシュな悩みを持ち寄り、この科学哲学勉強会を3年ほど続けた。ちなみに、当時のメンバーのうち私を含め3名が現在名古屋大学に勤務している。2005年に [進化に興味はあるが進化そのものを研究してるわけではない] 若手生物系教員を集めて「Evolution勉強会」を主催。週一回の勉強会は現在も続いている。不定期に人を呼んでセミナーを行っているが、私個人の好みで科学史・科学哲学系の講演者が多い。 2010年4月よりCraigs' Cafe(名古屋大学内)を使った科学/哲学カフェを準備中。
その他
夏目漱石に心酔している。おかげで、どうでもいい研究をしている科学者ほど立派だと思い込んでいる節がある。自慢は、「三四郎」の初版(明治41年)を持っていること(ただし函なし)。漱石の兄(大一)にちょっと似ているらしいことも自慢。10年ほどまえから、毎年100冊の本を読む習慣を自己に課している。買ってしまった本はどんなにツマラナくても最後まで読む。アマゾンレビューアーランキング19,274位。