大相撲八百長問題の「共犯者」

林 衛

みそぎが済んだと思われていた野球賭博事件が,警察に証拠品として押収されていた携帯電話のメール記録によって,八百長問題に飛び火した。復元のなかに,じつに生々しい件の通信記録がみつかったという。警察取材に基づく2011年2月2日の毎日新聞朝刊スクープは,土俵の外を騒がせていた一連の不祥事を,ついに土俵上の問題に引きずり出すこととなった。

新聞,放送,ネットといったメディア上でも批判がうずまき,2月6日の日本相撲協会理事会は,1946年夏場所以来65年ぶりとなる本場所(3月大阪場所)中止を決定。「残念だ」が「やむをえない」といった声がメディア上でこだました。

ここまでの展開で,私には解せないことがいくつかある。

まずは,中止が解せない。ファンあってのプロスポーツならば,何があっても開催を優先すべきだろう。不祥事で「興業」とするのが申し訳ないのであれば,今回の大阪場所に限り,入場無料にしたらよいのだ。楽しみにしているファンのために,身銭を切ってでも大阪に駆けつけたいと関取衆や相撲関係者は考えなかったのだろうか。

ついで,記者クラブ専門記者たちの「沈黙」が解せない。プロスポーツコメンテータとしても活躍する漫画家のやくみつる氏は,NHKの緊急検証番組で大相撲関係の外部委員や相撲に詳しいコラムニストに語らせているいっぽう,いちばん近くでウォッチングしていて当然気づいたり,噂を耳にしたりしてきたはずのNHK記者たちが同席していながら肝心なことを語らないという問題を指摘していた。「確証を得る前の段階であっても,具体的に疑問に言及し,解明の緒とすることはあってもよいはずだ」のにと(毎日新聞2月12日夕刊)。放送に限らず,新聞専門記者も同じような状況だ。

反対に,それみたことかと元気なのが,出版社系週刊誌とくに『現代』(講談社)である。日本相撲協会が報道被害を訴えた民事訴訟に,昨秋『現代』は敗れていたのだが,反対に「ウソの法廷証言で本誌から賠償金4785万円を詐取した」日本相撲協会を警視庁に告訴すると打ち上げた。というのも,八百長はないと一貫して語っていた相撲協会の主張がひっくりかえっただけでなく,『現代』側から賠償金を受け取った現役力士のなかに,今回,八百長を認めた二人が含まれていたからだ。

2007年初頭に始まる『現代』の大相撲八百長報道と訴訟合戦のあいだも,専門記者たちは,自ら語る場をもちながら静かであった。『現代』の報道の根拠となる証言者が,相撲界を「追われた」元力士,関係者であったこと,相撲協会と敵対すれば記者クラブ専門記者として(相撲の楽しさすばらしさを伝えるという)報道の仕事をやりにくくさせるという懸念,これらが静かさの原因だろう。

「科学者の科学離れ」の続きを語るはずの第2回が,大相撲八百長問題に脱線したと思う読者もいるかもしれない。いっぽう,私が今回の騒動で思い出してしまったのが,『科学』編集者時代の最後の仕事となった「旧石器発掘捏造事件」検証企画のことである。NPO法人東北旧石器文化研究所の副理事長をしていた藤村新一氏がコレクションしていた縄文時代の石器を,旧石器時代に相当する10万年前や50万年前の火山灰がみつかるやその近辺の地層に埋め込み,発掘を捏造していた。2000年11月の毎日新聞1面大スクープで明らかになった彼らの発掘の報告を,捏造だと疑うこともなく,私が担当者として2回も『科学』誌上でとりあげてしまっていたのだ。しかも,1回は表紙にイラストまで載せて。

『科学』編集者として取り組んだのは,真偽に決着をつける方法論の提案と共有である。発覚から2か月余の1月末発売の2001年2月号で小特集を組んだ。とくに,日本全国の博物館,地方公共団体の埋蔵文化財関係者にダイレクトファックスと郵便で宣伝,続々と注文を受けた。人類学史上最大の捏造事件とされる1世紀前のピルトダウン事件のごとく,捏造の痛みから抜け出す機会に人類考古学は方法論を鍛えてきたという歴史に学び,正当な発掘の方法を日本中の考古学者,関係者に届けたかったし,届ける必要を感じたのだった。社会問題として注目されていたのだから,考古学の専門家向け媒体ではなく,一般読者に開かれた総合科学雑誌上で検証することに意義があると考えた。

東北旧石器文化研究所や藤村氏が発掘に協力した前期旧石器遺跡は,北海道から関東までみなアウトであった。1976〜81年に実施された宮城県座散乱木(ざざらぎ)遺跡での発掘調査以来,彼らが切り拓いてきたはずの日本の前期旧石器研究は,ゼロからの再出発となったのである。そしてその責任は藤村氏の捏造にあったと集約され,共同研究者たちは,みな「裏切られた」と語った。

しかし疑問は残る。藤村氏だけで,このような捏造を20年以上も続けられるのだろうか。私の答えは「ノー」である。「共犯者」はいたにちがいない。しかしその性質は,「みかけ消極的」なものであったにちがいない。

秩父の小鹿坂,長尾根遺跡発掘の学芸員記録には,“秩父原人”たちがなぜ眼下の荒川の石材ではなく,東北地方の石材にこだわったのか謎であると記されていた。発掘捏造が明らかになったいまから振り返ると,ブラック・ジョークのようにすら思えるが,当時は,発掘が正しく,石材が謎だとみなしたのだ。藤村氏は「シグナル」を発していたのではないだろうか。これでも認めてくれるのかと…。

旧石器発掘捏造事件に限らない。「史上最大の論文捏造」と呼ばれたヘンドリック・シェーンによる高温超伝導捏造事件は,NatureやScienceといった一流学術誌が競って載せた論文が続々と撤回される結果となった。その責任は,シェーンによる捏造に負わせられた。シェーンは藤村氏同様,研究の現場から去った。いっぽう,共著者でシェーンを雇っていた研究室のリーダ,バトログは,ベル研から移った先のスイスで大学教授として研究を続けている。

信じていたのに「だまされた」「裏切られた」と語る彼らは,捏造を指示したり教唆したというレベルの共犯者ではないだろうし,そうだとしてもその証拠があるわけでもない。しかし,気づいてよいだけの「シグナル」を受け取る位置にいたし,受け取っているべきであったことは確かだと考える。「シグナル」に気づけないほど鈍感だったのか,はっきり気づいたのに目をつぶったのか,あるいはその中間で,かすかな「シグナル」のかすかさのせいにして後回しにしたのか,わからない。いずれにしろ,その間に「世紀の大発見」が繰り返されるとともに,事態はどんどんと深みにはまっていったのだ。

「シグナル」を受け取る位置にいたのにもかかわらず,みかけ消極的な「共犯者」になってしまったかもしれないという点で,大相撲専門記者も,科学上の不正の共同研究者たちも,そして科学雑誌編集者たちも(もちろん私含めて),かかわり方はちがえど,どこか共通していると思うのである。その専門領域の狭い利害にはまりこんで,一団で深みにはまってしまったのだ。みかけ消極的な姿勢を支えているのは,利害の一致である。

「科学者の科学離れ」がおもしろくないのも,近くにいて「シグナル」を受け取れるはずの人同士が交流を絶ってしまうからだという点で,これまた共通している。ここに利害がからむと,やっかいな事態が生じるらしい。そのやっかいな事態を解きほぐすのにも,科学者を「科学者の科学離れ」から呼び戻すのは役に立つのかもしれない。

追記

原稿改訂中に,東北関東大震災,原発震災が始まった。ここでも,専門家のみかけ消極的共犯性が問われているので,改めて論じたい。

(2011-03-31公開,2011-04-14修正)

参考

(1)

専門記者の限られた発言の例として,「大相撲を取材している私も、八百長はあったとしても、証拠が見つからない以上、確かめようがないと思っていた」 毎日新聞2011年3月2日朝刊「記者の目」大相撲の八百長問題=大矢伸一(東京運動部)署名記事。

(2)

旧石器発掘捏造事件との筆者のかかわりについては以下文献でも紹介している。

出版社による雑誌の紹介

(3)

共同研究者による「みてみぬ振り」「シグナル見落とし」の実例が,共同研究者による反省文に多数紹介されているのは以下。

(4)

濃密なドキュメンタリー海外取材の結果をまとめた1冊。

出版社による本の紹介

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