YOSHIDA, Shigeo
  吉田茂生


個人情報

1966年 宮城うまれ 北海道育ち 東京大学・理・地球物理学 [博士(理学)]

経歴と関心の対象

 高校の時の倫理・社会の先生が、いつも雑談と自慢話ばかりしていたけれど、哲学はすばらしいらしいということを教えてくれた。哲学書を何冊か読まされた。そのなかにデカルトの「方法序説」があったけど、昔の人は神がかっていて訳が分からないなあとしか思わなかった。そのときは、哲学が科学と関係しているなんて思ってもみなかった。もちろん今になって科学史を勉強してみると、これは科学の源流だったのだけど。
 大学に入って熊澤さんの指導を受けることになった。熊澤さんがきっかけだったか何がきっかけだったか忘れたけど、パラダイムということばを覚えた。でも今から思えば、正しくは理解していなかったみたい。そのうちにファイヤーアーベントなんていう名前も覚えて本を読み、そういう考え方もあるのかと驚いた。
 とはいえ、大学のときから名古屋に来るまでは、科学哲学のことは上のようにちょっと関心があった程度で、当然のことながら本職の方が関心の主体であった。まず、地球の中心核の活動をどうとらえるか、どうやったら研究ができるのかを経験的に学び、大学院を出るころになってようやく自分で研究ができるようになった。そのころになると、地球の中の活動のとらえかたにいろいろな側面があることがわかってきた。大学院を出た後、そのころ最新の技術の物性計算を勉強しようと思って物性研に滞在したこともあったが、ものになる前に地震研で重力の研究をやることになった。地震研では、火山研究にも手を出した。一方で、地震予知計画に巻き込まれることに窮屈さを感じたことなどもあって、名古屋大学に移ってきた。
 名古屋大学では、本職の方では、海底熱水循環の研究を新しく始めた。一方、戸田山さんと出会い、彼の認識論や科学哲学の本を読んだり講演を聞いたりして、科学哲学というものがどういうものかようやく分かった気がした。そのように関心を持ってきたところで、昔の恩師の熊澤さんが科学哲学と科学の疎遠な関係を刷新しようという運動を始めたので、参加することにした。
 ところで、私の体験からして関心がある哲学的な(?)問題がいくつかある。(1) 地球物理学は物理学を使うものの、物理学者とは関心の持ち方が全く違う。物性研に滞在したりしたので、そのことははっきりとわかった。科学にもいろいろあるということをどのように科学哲学に取り込むべきか? (2) 地震予知だとか地球環境問題だとか、不確実性の高い予測と社会がどのように向き合うべきか?環境学研究科にいると常に気になる問題である。もっともこれは、科学哲学ではなくて科学技術社会論の問題ではあるが。 (3) われわれが自然を理解するというのはどういうことか?理論がどのような構造をしていれば、われわれは理解ができるのか?このことは、大規模シミュレーションが発達した現在、いつも考えないといけない問いである。大規模シミュレーションは本当らしい結果を出すけれども、それを理解した気になるのは容易ではない。このことは、自然主義の本丸にもつながっている。世界(世の中すべてという意味)の一部である人間が、限られた能力でいかにして世界を認識しているのか?人間の知的活動を世界のごく一部であるとしてとらえながらも、その小さな知的能力がそれを包括する大きな世界を語り得ることの論理構造がわかるとよい。

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